涙腺崩壊

感動する話 家族

あんたが見てきた風景

 

大学中退自分にできる微かな抵抗ただ実家を継いで医者になるのに抵抗があったフリーターをして食いつないでいた四年間別にいつ死んでもいいとさえ思ってた四年ぶりの親父との電話「病院は経営難で畳むことにした。 俺の考えを押し付けて悪かったな。 母さんが心配してるいつでも帰ってこい」声が震えていた5年ぶりの帰郷久しぶりに会った親父なんでこんなに痩せてんだよ

泣ける話 家族

わたしのせい

 

母親が脳疾患で植物状態になり、東京で結婚して暮らしていた私は家族とともに故郷へ帰った。父親と同居して1年半。もともと、若い頃から父とはケンカばっかだったから、お互い相当我慢したよ。あの日。父とケンカしたとき。私の口から出た言葉。「おまえなんか死んじゃえばいいのに!!!!」その次の日、何のお別れの言葉もないまま父は車の中で心不全で亡くなった。たった一人で。十三時

泣ける話 家族

一人の駄目人間

 

・・・・昔々 ある所に一人の駄目人間がいましたそいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ1社2社3社・・ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか12社目を受けた時です「お前を雇う所なんてどこにも無い」と面接官に言われました・・・・それから 彼の引きこもり人生が始まったのです当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・

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大好きです、おばあちゃん

ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。クモ膜下出血でした。小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。肩たたきは毎日していました。それくらいおばあちゃんが大好きでした。

泣ける話 家族

父に会いたい

自分は父の顔を知らない。自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか「お父さんの写真、見して!」とか「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。誕生日

泣ける話 家族

塩だけのおにぎり

自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家にはばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。でも中学生になって人並みに反

泣ける話 家族

主人の左目

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主人は3年前に左目を失明した義眼を入れているので、見た目は言われなければわからないその失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に何かあ

感動する話

こんなにきれいに生まれてきたのに

昔24時間営業のスーパーで働いてた。この時期はただえさえ寒いうえに店内冷房ですごく寒かったな。それはさておき、その年は柿がすごくおいしかったんですよ。で、うちもたくさんカキを置いたわけ。入口の近くにね。働いた経験ある人なら分かると思うが、斜めの棚に陳列してある果物は、よくお客さんに落とされちゃうことがある。もちろん拾って棚に戻すんだけど、すぐ痛んできてしまって、誰

泣ける話 恋愛

どうして・・・

 

恋話なるが聞いてくれ泣ける話かも分からんが卒業式が終わったいや終わったというか抜け出した呆れた、ウザかった、アホらしかったやっと開放されたと思った俺はこの中学の野球部を東海大会まで導いてやったでも、誰も認めてくれなかった無失点で投げ続けて降板、そのあと下級生が打ち込まれて俺の夏終わりだぞしかも俺が戦犯になってるバカばっかだwwwおかげで私立の推薦もパ

泣ける話 恋愛 友達

たいせつなひと(2)

 

(1)の続き次の日、チホ姉ちゃんの姿はなかった。「俺が母さんにチクったから…?」と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。「今日、チホ姉ちゃ