次の日、チホ姉ちゃんの姿はなかった。
「俺が母さんにチクったから…?」
と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。
当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。
「今日、チホ姉ちゃん、おらんかったけど、どしたん?」
「んー、今日ねぇ、ちょっとお姉ちゃんは体を悪くしちょるんよ」
「大丈夫なん?」
「大丈夫よ。でも、お姉ちゃんと遊ぶのは、もうやめたらどうなの?」
「なして」
「なしてって、、、」
この日から、チホ姉ちゃんが外に出てくることはなかった。
夏休みが終わるぐらいに、俺はチホ姉ちゃんのお見舞いに行くことにした。
母に連れられ、病室にいくと、とても痩せたチホ姉ちゃんがいた。
綺麗な黒髪も、今は何となくつややかさが消えていた。
チホ姉ちゃんは俺を見るなり、大きい目を細くして、微笑んでくれた。
「珍しいお客さんね」
「体大丈夫?」
「大丈夫よ」
チホ姉ちゃんは、ベッドの机で何か手紙を書いていたのを、俺から隠すように、裏にした。
「友達もみんな、チホ姉ちゃんが来なくなって寂しくなってさ」
ホントは俺が一番寂しかった。
「そっか。ごめんね。お姉ちゃん、体弱くて…」
「早く元気にならんといけんよ。待っちょる人がおるんやろ」
「そうね。元気にならんとね」
俺とチホ姉ちゃんは一日中、折り紙遊びやTVを見ながら過ごした。
次の日も、その次の日も、友達と遊ばずに、チホ姉ちゃんと過ごした。
夏休みが終わると、平日の夕方か、日曜日しか、チホ姉ちゃんに会えなくなった。
チホ姉ちゃんの親にも会った。
弟ができたみたいね、と俺を可愛がってくれた。
母さんも、「お姉ちゃんができて良かったわねぇ」と言ってくれていた。
そんな日が、ずっと続くと思ってはいなかった。
冬か、秋の終わりごろの土曜日だった思う。
俺は学校が終わるなり、すぐにチホ姉ちゃんに会いに行くのが日課だった。
いつも通り、いろんな話をしていると、チホ姉ちゃんが口を押さえて、白いベッドを真っ赤にした。
吐血した。
チホ姉ちゃんは真っ赤に染まった手でナースコールを押し、ベッドから転げ落ちた。
俺はどうすればいいのか分からなかった。
チホ姉ちゃん、チホ姉ちゃん、と泣き叫んでいたと思う。
すぐに看護婦がやってきて、色々と手当てをした。
俺は病室を追い出された。
廊下から、チホ姉ちゃんの血を吐く音、うなる音、咳き込む音が聞こえて怖くなった俺は、泣きながら家に走って帰った。
家に帰るなり、部屋にとじこもって泣きまくった。
夕飯も食べず、泣いて泣いて泣きまくった。
泣き疲れて、いつの間にか寝ていた。
起きたのは4時20分(時計を見たのをめちゃくちゃ覚えている)。
まだ暗かったが、玄関から物音が聞こえて起きた。
どうやら母さんらしく、俺の部屋に向かってくる足音が聞こえる。
母さんが俺の部屋のドアを開けた。
俺が起きているのに気づいて、目をカッと開いた。
「千穂ちゃん、死んじゃったわ…」
予期していた言葉だった。
とはいえ、全身をつらぬく言葉であった。
俺は返す言葉もなく、ただ押黙っていた。
母さんは静かにドアを閉めた。
チホ姉ちゃんは、もういないんだ―…
次の日、チホ姉ちゃんの通夜があった。
俺は親戚でもなんでもないので、行くことはできなかった。
葬式は、母が俺が風邪をひいた、と嘘をついて、葬式に行かせてくれた。
棺桶からチホ姉ちゃんの顔を見た。
ホント、今にも起きそうな顔だった。
体を触ると、現実を思い知らされることを知っていたので、触ることはできなかった。
チホ姉ちゃんの前では泣かない。
決めていた。
チホ姉ちゃんを焼き、骨壷にいれる時が来た。
お腹の部分の骨は全くなかった。
俺は震える手でチホ姉ちゃんをいれた。
変わり果てたチホ姉ちゃんを正視することすらできなかった。
葬式が終わって数日後、チホ姉ちゃんの母親から封筒がきた。
なんでも、チホ姉ちゃんが俺に手紙を封筒の中に残してくれていたという。
ユウトくんへ。
これをよんでいるということは、私はついに死んじゃったのね。
私が死んでどれくらいたったかな?
"死ぬ"って言っても、消えるわけじゃないんだよ。
ユウトくんから見えないだけで、
お姉ちゃんはずっと、ユウトくんを見てるよ。
ほら、今、となりにいるでしょう。
いつもびょうしつに入ってくるときに言うように「千穂姉ちゃん」ってよんでください。
私はあれを聞くのを、毎日楽しみにしていたよ。
今だって聞きたい。ユウトくん。
泣いてないよね?
元気あふれるユウトくんを見ていたいから。
おせわになりました。
楽しかった。
ありがとう。
10月12日
千穂姉ちゃんより。
それと、封筒の中に小さい封筒が一つあった。
手触りだがその封筒の仲には手紙が何枚かあった。
封筒には
「私のたいせつなひとに書いたお手紙です。見つけたらわたしてください」
と裏にあった。
チホ姉ちゃんからは、その「たいせつなひと」の話を全く聞いていなかった。
当然、俺に預けたって無駄って分かっていただろう。
じゃぁ何で俺に頼んだんだろ、と思った。
いつかは、「たいせつなひと」について話すつもりだったのだろう。
それを話す前に、あっけなくチホ姉ちゃんは死んでしまったが。
チホ姉ちゃんがあのバス停でずっと待っていたことを思い出した。
学校の帰りに、バス停に止まってバスから降りてくる人の中でチホ姉ちゃんと同じ中学生くらいの男子を探した。
いつでも会えていいように、ランドセルにはいつも封筒をいれていた。
あれから十数年。
結局、「たいせつなひと」に会えることはなかった。
家の大掃除をしていたら、タンスの中からあの封筒が出てきて思い出した。
チホ姉ちゃんとの不思議な夏の話でした。
その封筒は、まだ開けていない。