友達

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別れの握手

今日、中学まで一緒の学校だった男の子と偶然再会した。私の居るところはわりと田舎だから、就職はほとんど県外で、進学も県外に行く人が多い。彼はとてもシャイで、おとなしい子だった。部活が一緒で、たまに話すことがあっても全て私からだった。今日も私が先に見つけて、話しかけた。世間話に一段落着いたところで、彼が「就職が決まった。県外に行くことになったんだ」と言った。
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オウンゴール

昔知的障害をもった子がサッカー部にいてなでも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしててそいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・ある日接戦で2-2の試合をしていたんだでも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのねそし
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ウザいあいつ

俺が小6のときの話俺は生まれつきスタミナが無くて、友達も少なかったそのせいでマラソン大会とかマジ地獄だったそんな俺にやたらまとわりついてくる奴がいてそいつは明るい性格でクラスの人気者俺とは正反対の奴だったそいつが俺はウザくてウザくて話とかは受け流して関わらないようにしてた(向こうから来るけど)そしてマラソン大会の日、俺は朝からテンションめちゃくちゃ低くて、
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貧乏を公言する男子

うちの中学は新興住宅地でほとんどが持ち家、お母さんは専業主婦みたいな恵まれた家庭が多かった。育ちが良いのか虐めや仲間はずれなどは皆無。クラスに一人だけ貧乏を公言する男子がいた。7人兄弟の長男で子沢山と低収入で給食費も遅れるような状態。黒であるはずの制服は何故か緑色っぽく色が褪せ、中3になると急に身長が伸びたためか上腕の3分の1くらいが出ているような状態になってし
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貸し借り

小5のとき、通学路の交差点を渡っていたとき、右折車が横断中の俺めがけて突っ込んできた。催眠術にかかったように体が動かず突っ込んでくる車を呆然と見ていたら(あらぬ方向を見ているドライバーの顔まではっきり見えた)、後ろから突き飛ばされ、俺は難を逃れた。が俺を突き飛ばしてくれた大学生は車に跳ね飛ばされた。泣きながら近所の家に駆け込んで救急車と警察を呼んでもらい、自分は
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色あせたミニ四駆

小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してやといわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
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チーズケーキ

私が財布から紙幣を出していると、表のガラスドアが開いて、五、六歳くらいの女の子が入ってきた。顔を赤くし、必死の面持ちで、「あのう、すいません」と言った。私の相手をしていた女性がはい、と言って女の子の方に向き直ると、彼女は、「あのう、チーズケーキはひとつ何円でしょうか」と丁寧な口調で尋ねた。店員は女の子の必死の気配がおかしかったのか、「四百三十円です」と笑いながら応えた。
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丸坊主

昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主が
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オムライス

20年前ぐらいの前の話当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。それでもどん底だった・・・俺は中学卒業してすぐ働きに出た。死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。飯食いに行こうって話になった。メニューの漢字・・・読めなかった。読めたのは、一つだけ
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じい

俺の近所に住んでた爺さんの話。一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」爺「若、よくぞいらっしゃいました。」なんて呼び合って遊んでいた。そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。