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まずい水

僕は嫌いな人がいる。と言った時、母は見るからにまずそうな水を持って来て、『まずい水をおいしくするには、飲む前におもいっきり走って来て、辛いもんをいっぱい食べてみればいぃ。そぉしてから水を飲めば、どんな水だって美味しく感じる事ができる。自分が変われば、まずい水は美味しくなるんや。』って言ってくれた。最初、言うてる意味がわからんかったケド、まずい水を嫌いな人に例えて
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また次に産まれた時も

去年の9月1日父親が他界した。心臓弁を人工の物に付け替えるという難しい手術だったが、私は初めての手術ではないし、今回も普通に元気になって帰って来るのが当たり前だと信じていたので、会社にいつも通り出勤して、長男にメールで経過を聞くくらいだった。「術後も安定してる」「後は目を覚まして麻痺がないか確認するだけ」そんなメールを何度かやりとりして、ベットに潜り寝ようとした。
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消防士の親父

オレの親父は、消防士だった。いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」ってそう言っていたのを覚えている。親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだ
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幸せ者

アナタが死んでから2週間経つね。まだみんなチロちゃんが死んだコト受け止めてないみたい。床にご飯が落ちたらアナタは一目散に食べに来てたね。だからかな、まだみんなご飯が落ちるとチロって名前呼ぶんだよ。それであっいなかったねって笑うの。2週間前のあの日、私は友達と遊んでた。そしたら、チロちゃんが死んだってメェルが来た。私は笑ってみんなにチロちゃんが死んだコトを告げた
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ばあちゃんごめん

初めて投稿させていただきます。このサイトのお話しを読んで、どうしても気持ちを綴りたくなったので、読んでいただければ嬉しいです。私はばあちゃんが大嫌いでした。正直、可愛がってもらった記憶もないし、すぐ近所に住んでいるのにすれ違ってもお互い無視する程でした。たまに家にきても挨拶も話しもしない、ずっとまともに会話した事もありませんでした。たまに皮肉を言いたげな目で私を
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言葉にする勇気

今就職活動中で実家に帰れないんだけど、うちのじいちゃんが突然倒れて入院した。ばあちゃんは雪かきして転んで脚を骨折してそのまま病院暮らしだ。雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。もう5年も入院暮らししてる。俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。小さい頃は分け隔
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死なないで…

父親が死んでしまったのが中学三年生の時で…それから母親は一人で生計をたてていました。四人姉弟の真ん中三番目の僕は男一人だった事もありかなり手を妬かせていたと思います。高校生になってバイトをしても家計を助けるわけでもなく…自分のためだけにつかっていました…。兄弟がそうだったから違和感がなかったといえばそうなのかも知れないけれど 一人で五人家族を養える訳がなかったのです
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一緒にお弁当を食べてね

海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。雨女の私が出かけると必ず雨。今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。せっかくお母さんが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ
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最後の文字

2年前の8月10日、大好きだったじぃちゃんが亡くなりました。私は小さい時からよくじぃちゃん家に泊まりに行ってました。泊まりに行くたびにいろんな事を教えてくれました。本当に優しくてみんなから頼りにされていて絶対にツライと言わない人でした。じぃちゃんの病名は「肝臓ガン」。その事は私の親夫婦と叔父夫婦だけにつげられました。私達孫とじぃちゃんとばぁちゃんは何も知らず3年間
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継母

私には、お母さんが二人いた。一人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。もう一人は……私の17歳の誕生日に母が継母であったことを聞かされた。私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。生みの親より育ての親…なんていうが、そのときの私は今まで騙されてきたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話もきかず部屋でふてくされて泣いていた。翌日から