普通の家
ちょっと長いかも俺が小学生の頃親父が原付に乗っていて交通事故にあった頭蓋骨骨折の重体だったけどなんとか一命はとりとめたでも大好きだった原付にも車にも乗れなくなったみたいで大分ストレスが溜まってたみたいそれで子供達には優しいんだけど夫婦喧嘩は日常茶飯事すぐに手が出る親父だったから堪えかねたお袋が一人で実家に帰っちゃったその時何も知らされてなくて「母ちゃん遅いね」
母より
泣けるかどうかはわからないけど・・・僕の高校時代はとても悲惨でした。と言っても友達はいたし、虐められてたわけでもない。何が悲惨だったかというと、1年生の時に母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。僕と父を残して。とても悲しくなりました。なんで僕を置いて行ったんだ?と。僕は捨てられたんだ、と。怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。父は何も言わず、
ムービー
数年前に母方の祖母が亡くなった。私たちが住んでいたのは岩手で、母の実家は新潟だった。遠いので頻繁に向こうの親戚には会えなかったが、毎年夏に車を走らせ家族4人、父、母、兄、私で会いにいっていたし、年に数回は互いに梨やお菓子、手紙などを送りあっていた。私が高校生になった頃、いつもは夏休みを使って新潟へ行っていたけれど、夏休みも忙しく、「高校生だから、もう少したったらまた皆でいこう」と母は言った
家族写真
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて、「それほど持たないだろう」と言われ、入院前に「今生最後の写真はせめて家族と・・・」と撮った写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。当の父はというと、どっしり
キャッチボール
私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、「地区大会の決勝で9回に逆転されあと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、小さい頃良く聞かされていました。そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。父も良くキャッチボールをしてくれました。そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、高校に入った私は迷
似てきたかあ
私が小学2年の時に母が再婚した。私は瓜二つと言われるくらい実父に似ているので、義父としては色々複雑なところもあっただろうに、そんなことは微塵も感じさせない人だった。先日、一緒に買い物に出かけた時に店員さんに、お父様に目元が良く似てると言われた。よくあるお世辞とその場では軽く流したが、車の中で二人になると義父は、「見え透いたお世辞いっちゃって」と冗談ぽく笑っ
付き合ってくれた仲間
ウチのオヤジも猫嫌いだったなー。近くへ寄って来るとしかめ面で追っ払ってた。オヤジは晩酌が日課だったんだが家族が食事が終わってもいつも一人で台所のテーブルで飲んで居た。ところがいつの間にか飼ってた猫がオヤジの足元でツマミの刺身を貰うようになっていた。猫が無言で足元に座るとオヤジもナイターを見ながら足元に刺身をちぎって落としてやる。猫もさも当たり前のようにむしゃむし
こんなことで泣いた
最近こんなことで泣いたw俺には結婚して6年経つ妻がいるのよ。子供も5歳の双子が居る。子供産まれてからは2人で話す事も少なくなったし、とりあえず俺は仕事で精一杯で構ってる余裕無かったんだ。で、平日で偶然仕事休みで家に居たのよ。子供は保育園でいないし2人きり。最近めっきり話す事無くなったし俺は話しかけずらくてずっと沈黙の空間だったんだ。そしたら妻の方から(仕事忙
今ならすごくよく分かります
先日、二十歳になった日の出来事です。「一日でいいからうちに帰って来い」東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、
姉ちゃん、絶対に絶対に幸せになれよ
姉ちゃんの結婚が決まった夜おふくろが死んでも涙こぼさなかった親父が仏壇の前で号泣してたんだぜ?弁護士になるのが夢で、猛勉強して進学校に入ったのに卒業して就職しちまったよな俺と弟達の学費出してくれていたんだろ?いつもとぼけるけどさー美人なのに彼氏も作らず、お洒落もせず足の不自由な親父と俺達弟3人の面倒見てくれたよないつも、どんな時も笑顔で、おふくろの代わり