義母のクリスマス
お祭りごとや楽しいこと、賑やかなこと、綺麗なものが大好きな義母がある日、クリスマスイルミネーションで家でもやりたいと言い出した。実はその時の義母、癌で余命宣告を受けていて家族で過ごす最後のクリスマスだと思っていたらしく一度でいいから自分の家もテレビや雑誌で紹介されていたような綺麗なイルミネーションで飾って、素敵なクリスマスの思い出を作りたいと。それで私や夫や娘たちがカタログを貰ってきて義母が
生んでくれてありがとう
母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて何も言えなかったから何でもかんでも母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付
ミッキー
私と彼の前を目の不自由な夫婦(二人とも杖の様なものを持っていました。)が歩いていました。キャストの方が付き添い丁寧に説明をしながら歩いていました。そしてミッキーに会う部屋に入りその夫婦の方の番になりました。キャストの方が、「ここがミッキーの耳ですよ~!」と言うとミッキーがその夫婦の手を持って自分の耳に持っていきました。夫婦は手をさぐりながらうなずいてとても嬉しそ
仲良くやっとるぞ
こんな時間だけど妻が亡くなって4年たった俺、嫁、娘2人で集まって笑ってる写真の前でお線香焚きながら嫁に感謝の独り言、そんで涙目になって「ずっと愛してる」って独り言我慢できずにいい歳こいてビービー泣いてた夜中なのに娘にバレて笑われたwんで結局みんなで泣いた亡くなった嫁よ、あんたの俺と娘達は仲良くやっとるぞ
千の春
娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。「いつになったらお外へ出れるの?」悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。
お子様ランチ
東京ディズニーランドにある若い夫婦が訪れました。そして、ディズニーランド内のレストランで彼らは「お子様ランチ」を注文したのです。もちろんお子様ランチは9歳以下とメニューにも書いてあります。子供のいないカップルに対してはマニュアルではお断りする種類のものです。当然の如く、「恐れ入りますが、このメニューにも書いておりますが、お子様ランチはお子様用ですし、大人には少し物足りないかと思われますの
夢
数年前、事故で1週間近く意識が戻らなかった私。当然、その一週間はなんにも記憶はないんだけど、夢で2歳半の息子をずーっと抱きしめてた。とても暖かくていい匂いがして、心地よかった。気づいたときにはベッドの上だったんだけど、後で聞いた話によると、息子は毎日私の母に連れられて病院に来て、私の横で「おかあたん、おかあたん、ぱっちりあけて(目を)」と延々と言っ
君に会えるのを
君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。 妊娠したと聞いて僕は 「おーそうか」 なんて冷静に言おうとしたけどすぐに涙がでたんだ。決して口には出さなかったけど、なかなか子供を授からないことでママは自分を責めていた。 僕はそれには気がついていないふりをしてきたから泣いたらダメだったんだけど我慢できなかったんだ。 君は生まれる前から、ただママのお腹にいただけで僕達二人を幸せにしてくれ
ピンク色のカマボコ
私が小学1年生の時に事故で両親が死に、それ以来おじいちゃんと2人で暮らしていた。おじいちゃんは料理などできなかったけれど、私のために毎日質素ながらご飯を作ってくれた。ご飯と納豆、とかご飯と缶詰め、とか。そして食卓にはいつもカマボコが2~3切れ置いてあった。カマボコは必ず毎日食卓にあった。私はカマボコがおじいちゃんの好物だと思っていた。中学生になり、私が食事の用意を