居てくれてありがとう
俺は小学校の時にいじめを受けた。なぜかって?俺だってわからない。『黒人!』『外国人』『死ね』それが学校での日常だった。でも、こんな俺にも友達はいた。決して多くはなかった。4~6人位だろう。その中には、転入してきた人が二人いた。いつもは、5人位で遊んでた。すごい楽しかったなぁ~。遊戯王などのカードゲームにはまってたなぁ。まぁ~こんな感じで小6までずっと一緒だった。だけど、
送信されていないメール
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが 多かったのです。でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、 励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありま
ずっと一緒に
あの日俺は彼女と些細な事でケンカをしていた。険悪なまま彼女は車で仕事へ行った。俺は友達に会って彼女の愚痴を言いまくってた。そして彼女の仕事が終わる頃にメールを送った。相変わらず内容は、あーでもない、こーでもないとくだらないやりとりだった。そのうち彼女から返信が来なくなったけど、ケンカ中だったし何にも気にも止めなかった。1時間くらい経って彼女の携帯から電話がかかってきたんだ。俺は
愛というのは
私は生れつき足に大きなあざがあり、それが自分自身でも大嫌いでした。さらに小学生の頃、不注意からやかんの熱湯をひっくり返してしまい、両足に酷い火傷を負ってしまいました。それから何年も通院しましたが、火傷の痕は手術をしないと治らない、と医者に言われました。小学生で全身麻酔が打てないということもあり、痕はそのままにするしかありませんでした。しかし、それはたやすいことではありませんでした。直
手遅れになるまえに
俺は大好きだった彼女と別れた。理由はシンプル。俺が早稲田に落ちて浪人が決定したから。「二人とも大学卒業したら結婚しようね」こう言ってくれた彼女。でも彼女は俺が浪人中に死んでしまった。あれは8月を過ぎたあたりだったかな。ぜんぜんメールも電話もこなくなって、「彼女も浪人中の俺に気を使ってくれてるんだ」と思い、よりいっそう勉強に身を注いだ。あと半年で「早稲田受かったらもう一度彼女に
幸せになれよ
2年付き合った彼に振られました。それはもう、彼が言ったとは思えないほどのひどい言葉で。どんなにまだ好きだと言っても復縁はかなわず、音信不通になってしまいました。そんな彼の友達から、彼が亡くなったことを聞き、彼が書いた日記をもらいました。『入院二日目、昨日は周りのモンがめずらしくて初体験ばっかだったけど、 今日からヒマなんだよな~。 こうやって日記つけてみたわけだけど、 オレのことだか
結婚指輪
初めて彼と出会った時、私はまだ中学3年生だった。中学時代の私は同じ年代によく居た「ヤンキー」の様なのとは違った意味でのヤンチャな女の子だった。喧嘩じゃなくてカツアゲ、暴走族じゃなくてクラブ、シ●ナーじゃなくてマリ●ァナ、毎晩オシャレな大学生と遊ぶ事ばかり考えて、街をフラフラしていた。彼との出会いはナンパだった。彼は18歳だった。私はいつもの様に、17歳だと嘘をついた。彼は当時でいうチーマ
ずっと見守ってる
昨日、恋人が死んだ病気で苦しんだすえに死んだ通夜が終わって病院に置いて来た荷物を改めて取りに行ったら、その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたよく見たら「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」とか書いてあったお前、そんなこといまさら言うなよ死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ最後の方は、ろくに起き上がれもしな
一番の宝物だよ
うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。家のことなんて全くしない。子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。反抗期だった私はなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~、と母に言ったら「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが