泣ける話 家族

ミルクのど飴

数年前に亡くなった私の祖父は、とても無口な人でした。
よく口を「へ」の字にして、腕を組んで座っていたせいか、親戚の子供たちからは「怖いおじちゃん」と呼ばれ、「おじちゃんがいるなら遊びに行かない」とまで言われてました。
母親もその姉妹も、実の父なのに抱っこしてもらったり、あやして遊んでもらった記憶があまり無いと言っていました。

私は祖父のことを嫌いではなかったけど、遊んでくれるわけでもないのでどちらかというと祖母になついていたのですが、ある日、たまたま家に祖父と私だけしかいなかった時。
一人でもくもくと本を読む私に祖父が
「飴食うか?」
と言ってきました。
「食べる」といってもらった飴はミルク味ののど飴。
のど飴があまり好きじゃなかったけど、無理して1つ食べました。
そしてまた本を読んでいると、祖父が
「飴もっと食うか?」と。
あまりしゃべらない祖父が話しかけてくるのが少し嬉しくて、本当は苦手なのど飴を「おいしい」と言ってたくさんもらいました。
それから祖父は、私をみかけると飴をくれるようになりました。
今思えば、祖父は孫としゃべるきっかけを探していたんでしょうね。

祖父が亡くなる少し前、就職活動中だった私は、父親がいなくて金銭面で祖父にお世話になっていたこともあり、久しぶりに祖父の家に行き、進路を相談してみました。
相談といっても、無口で半寝たきりの祖父にたいしたアドバイスは期待していなかったし、とりあえず報告と思って話したんですが。
でも祖父はしっかりとした口調で、たくさん私と話をしました。
祖父は私のことをなんでも知っていました。
小さい頃からの細かい私の変化を、すべて知っていました。

そして、
「高校の頃は少し信用できなかったけど(少し荒れてたので)、最近は落ち着いてきた。好きにやればいい」
と言ってくれました。
高校時代、不安定だったとはいえ、祖父にその姿を見せたことはなかったはずなのに・・・
びっくりしました。

その後、祖父の容態は徐々に悪化し、私の就職が決まる頃には、病院のベッドに寝たきりになってしまっていました。
威厳のあった祖父が、看護婦に子供のように扱われ、食事が取れないため入れ歯の抜かれた口に小指の先ほど小さな氷のかけらを入れてもらい、もごもごとしているのを見て、とてもショックで、悲しくなりました。
その姿を見たくなく、お見舞いの足も遠のいていきました。

ある日、学校にいた私に母から連絡が入りました。
「おじいちゃんが、もうダメかもしれない。
アンタの名前を呼んでる」
急いで祖父のもとへかけつけると、母が「おじいちゃん、○○(私の名前)がきたよ!!」と言いました。
薬の副作用で脳がぼんやりしている祖父に
「おじいちゃん、会社が決まったよ!」と報告すると、目をあけて「わかった」というように少し首をふってくれました。
それ以来、祖父の意識はますます朦朧とし、言葉を話すことができなくなりました。

祖父の最後の一言が、私の名前になりました。

亡くなってから、何気なく祖父の部屋にあった海苔の缶をあけると、中にはたくさんの飴が入ってました。
祖父が半寝たきりになる前に、大好きなパチンコに行った帰りに、買ってきたのでしょう。
私が、忙しいことを理由に祖父の家に遊びに行かなくなっても、祖父は飴を買っていたのです。

もっともっと、おじいちゃんと話せばよかった。
いろんな相談をすればよかった。
たくさん後悔がおしよせました。

今でも、飴を食べるときは祖父のことを思います。
月命日にはなるべくお墓参りに行きます、祖父の好きな黒飴とミルクのど飴を持って。

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