サイズの小さな靴
1年ほど前、両親が死んだ。東京に出てきて数年、正月ぐらいしか帰ることの無かった俺は仕事を放り出して慌てて帰郷した。家に帰ると半狂乱で妹が抱きついてきた。事故で即死だったのが唯一の救いだったかもしれない。その後、警察に行って事故車両を見せてもらった時、一緒に渡された物があった。燃えて炭化してしまったに近い状態の財布と靴。女物の靴は大柄な母にしてはサイズが小さく少
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。イマイチ、実感が沸かなかった。もうすぐお別れなんて考えられなかった。弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた心無しか目が潤んでるように見えた。手を握ってみた
保護しているメール
俺は今高3なんだけど、10月26日に父親が死んだ。凄く尊敬できる素晴らしい父親だった。だから死んだ時は母親も妹も泣きじゃくってた。それから2ヶ月くらいたった最近は、まだ元の生活には戻れてないけど多少はみんな落ち着いてきてた。そして今日、俺はなんとなく父親が母親にどんなメールを送っていたのかと思って、少し悪いと思いつつも、タンスの引き出しにしまってあった、今年の8月ま
とおしゃん
今日、息子が俺を「とおしゃん」と呼んだ。成長が遅れ気味かもしれないと言われていて、言葉も遅かったから、不覚にも息が出来なくなるくらい泣いた。嫁か息子か選べと言われた時、最後まで諦めずに運に賭けてみようと言った時、実は内心楽観的だった。医学は発達してるし。嫁の病気での致死率は何千人に一人だし。育たないかもと言われた息子は臨月まで何の問題もなく育った。それでも息子の誕
Saga2の話
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃ
お母さんに会いたいです
私の父は私が5歳のときに白血病で亡くなりました。それからは母が働き、祖母が私と弟の面倒をみるようになりました。母は、仕事を始めてからは料理はしないし、洗濯もしないので、家事は全て祖母がやっていました。だから私は母親の手料理の味を覚えていません。母はそういう面では母親らしい人ではありませんでした。でも私はそんな母が大好きでした。身だしなみにすごく気を使っていたので
ビール
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、何か時間が寸断さ
お土産
卒アルみて、思い出したのでカキコ高校の修学旅行の話。親がいなくて、義親から虐待受けてる子がいた。バイトして自分で学費とか全部出してたらしいんだけど修学旅行の積み立てまで手が回らなくて、修学旅行には行けなかった。そしたら先生が数人の生徒を放課後に呼び出して、みんなでお金を出し合ってお土産買ってこようって提案した。修学旅行先でその子が好きそうなものとか沢山買った。足りない分は先生
なんでボクだけ
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?おかーさん・・・。なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?おかあさんからの
自分の事を恥じないで
交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いてた私に気付いて手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。家に帰ってから訳を聞かれて「○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」って言ったら「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られたので「大好きだった○君と付き合えてるだ