泣ける話 家族

あの子がいてくれれば

子供が2人いる。
でも、本当は、私は3人の子持ちだ。

18歳の春に娘が生まれた。
結婚してくれると言った父親は、結局認知すらしてくれなかった。
若い私にとって未婚のシングルマザーは大変な役割だった。
何で産んだんだろう、どうして子育てなんかしてるんだろうと、そんな格闘の毎日だった。

それでも、娘はすくすくと成長してくれた。
初めて書いてくれた私の顔、赤いランドセル。
それは秋の日の突然の出来事だった。

前夜、やけに娘がべたべたしてきた。
大して寒くない日なのに、寒い寒いと言った。
熱を測っても熱はない。早く寝なさいと添い寝した。

「ママ、ありがとう。ママ、大好き」
娘は私に抱きついたまま眠りに落ちた。
やっと開放されたなと、正直私はホッとした。
少しテレビを見て、私も娘の横で寝た。

翌朝、娘は目を覚まさなかった。起こしても起こしても目を開けなかった。
解剖、そして、事情聴取。
事件性なしと判断され、原因不明の突発的な心臓発作と説明された。

火葬場では、焼かないでくれと棺にすがりついた。
娘の焼却炉の前で、半狂乱で泣き喚いた。
小さな骨が娘のものだとは到底思えなかった。
突然の独身貴族。突然与えられた年相応の自由。
けれど価値観はまるで違っていた。

そのうち笑うようになり、けれど夜になると涙もこぼす。
小学生を見ると辛かった。
けれど、親と言うのは勝手なものだ。
娘の死から2年で結婚し、去年3人目の娘を産んだ。

幼稚園児と赤ん坊の育児にへこたれそうになる。
あの子がいてくれれば、今頃話し相手になってくれただろうと、今頃何歳になってるはずだと、この頃毎日考える。

あの子がいなかったら、こんなにも娘たちを愛せなかった。
あの子がいなかったら、子供がこんなに大切と思えなかっただろう。
あの子が死ななかったら、私はもっともっと自分勝手な親だったろう。

ありがとう。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。
いなくなって寂しいよ。今でも寂しいよ。

辛くて辛くてずっと封印してきた言葉をこうして書けるのは、
この子達が生まれてくれたおかげだ。

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