感動する話

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あの日はごめんなさい

私が中学生くらいの頃、ちょうど反抗期真っ最中だった。私は母と些細な事で喧嘩になり、母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」とつい言ってしまいました。お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。
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不器用な父

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰
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うさぎのメール

一人暮らしと同時に飼い始めたうさぎが8歳でお星様に。翌日、三人しかいない小さな事務所で無愛想かつ厳しいとっつきにくい上司とおばさんパートに囲まれて仕事をしていたが不意に涙が出てきて何度もトイレに。昼休みにお弁当を食べながらパートさんにウサギの話をして慰めてもらったけど上司は「だったらぬいぐるみでも買え」と一言。しかもその日は上司に急がなくてもいい書類に残業を命じ
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約束の指輪

人からじゃないけど俺の実話俺今年で25になるんだけど高校生の頃の話しちょっと長くなる小さい頃から幼なじみの女がいるんだがそいつとは本当に仲がよかった小学生の頃、親父の左手の薬指につけてた指輪が気になって、親父に「なんでずっとつけてるの?」って聞いたんだそしたら「これはな、母ちゃんとの約束の指輪だよ」「これをつけてれば離れてても一緒なんだよ」って笑顔で言ったんだよ。
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ロクな大人

私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」ごめんね
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チーズケーキ

私が財布から紙幣を出していると、表のガラスドアが開いて、五、六歳くらいの女の子が入ってきた。顔を赤くし、必死の面持ちで、「あのう、すいません」と言った。私の相手をしていた女性がはい、と言って女の子の方に向き直ると、彼女は、「あのう、チーズケーキはひとつ何円でしょうか」と丁寧な口調で尋ねた。店員は女の子の必死の気配がおかしかったのか、「四百三十円です」と笑いながら応えた。
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ドーベルマンのロッキー

普段俺のことをバカにしまくってるドーベルマンのロッキーしかし小学生のとき、ロッキーは俺を助けてくれた当時お袋の実家に帰省していたとき、近所のデカい川にロッキーと一緒に遊びにいったんだが、川の石を渡って真ん中までたどり着いたとき、足元のコケに滑らせて転落してしまった落ちた場所はギリギリ足が着く深さだったんだが、流されるうちに深い場所にいってしまい、パニくった俺は
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大きくなったら

我家は母子家庭。もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく超々安物の指輪を気に入って購入した夜。私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)小4の息子「買ったの?」私「うん、どう?」息子「高かった?」私「まっさかーー、5
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星の形のにんじん

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
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嫁の手

うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。ドン底だった。バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。何もかもが嫌になった。嫁と娘