ドーベルマンのロッキー
普段俺のことをバカにしまくってるドーベルマンのロッキーしかし小学生のとき、ロッキーは俺を助けてくれた当時お袋の実家に帰省していたとき、近所のデカい川にロッキーと一緒に遊びにいったんだが、川の石を渡って真ん中までたどり着いたとき、足元のコケに滑らせて転落してしまった落ちた場所はギリギリ足が着く深さだったんだが、流されるうちに深い場所にいってしまい、パニくった俺は
ばあちゃん……
ばあちゃん……俺がうまいって言ったら、ずーっとそればっか作ってくれたな……子供の俺には嬉しかったよ、ばあちゃん死に目に会えなくてコ゛メンネ、子供だった俺は深夜1時過ぎまで起きてられなかったんだそれに「倒れた」って聞いても、すぐに起きるもんだと思ってんだよ最後に俺の名前呼んでくれたそうだね、その時のばあちゃんの気持ち考えると切なくなるばあちゃんが亡くなってから1
姉の荷物
大学を卒業し就職が決まり、一人暮らしのアパートを引っ越すことになった。友人数人と、電車で1時間半ぐらい離れた実家から姉が手伝いに来てくれたのだが、なぜか姉はデカイ荷物を持ってきた。「???」と思いつつ作業を開始し、昼飯時。コンビニや食べ物屋に行くのも大変な田舎のこと。しかし俺は見栄はって、仕出屋に寿司の出前を頼んでおいた。友人らには大好評。夕方前には引越し終了。新居
大きくなったら
我家は母子家庭。もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく超々安物の指輪を気に入って購入した夜。私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)小4の息子「買ったの?」私「うん、どう?」息子「高かった?」私「まっさかーー、5
星の形のにんじん
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
嫁の手
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。ドン底だった。バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。何もかもが嫌になった。嫁と娘
すごろく
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。それをばあちゃんに見せては「ここでモンスターが出るんだよ」「ここに止まったら三回休み〜」ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何
母の文集
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな〜♪」って読
幸せな食卓
ずっと1人で生きてきた俺。こんな俺に子育てなんてできるのか?父親らしいことが出来るのか?嫁を悲しませるんじゃないか?不安で不安で」たまらなかった・・・。しかし結婚して子供ができて、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、ときどき泣きそうなくらいの幸せを噛み締める。「荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグ」とか、「大皿いっぱいの散らし寿司」とか、カミサンと子供