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パパサンキュー

私の知り合いの若い女の子が、お父さんに軽自動車を買ってもらったそうな その女の子は嬉しくて嬉しくて ナンバーを88-39にした そのナンバーの事は内緒にしといて、納車のときに 「ほら お父さん見てみて パパサンキュー って番号だよ」って打ち明けた 不覚にも親父さんは泣いてしまい、ソレをみて家族は笑っていたが あまりにも親父さんが泣いているのにつられて、みんなで泣いてしまい 新車のお披
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遠足のお菓子

小学生の頃、母親が入院していた時期があった。それが俺の遠足の時期のちょうど重なってしまい、俺は一人ではおやつも買いに行けず、戸棚にしまってあった食べかけのお茶菓子とかをリュックに詰め込んだ。そして、夜遅くオヤジが帰宅。「あれ・・・明日遠足なのか」と呟き、リュックの中を覗き、しばし無言。もう遅かったので、俺はそのまま寝てしまった。次日、リュックを開けて驚いた。昨日詰めたおやつのライ
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一番の宝物だよ

うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。家のことなんて全くしない。子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。反抗期だった私はなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~、と母に言ったら「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが
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お子様ランチ

東京ディズニーランドにある若い夫婦が訪れました。そして、ディズニーランド内のレストランで彼らは「お子様ランチ」を注文したのです。もちろんお子様ランチは9歳以下とメニューにも書いてあります。子供のいないカップルに対してはマニュアルではお断りする種類のものです。当然の如く、「恐れ入りますが、このメニューにも書いておりますが、お子様ランチはお子様用ですし、大人には少し物足りないかと思われますの
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君に会えるのを

君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。 妊娠したと聞いて僕は 「おーそうか」 なんて冷静に言おうとしたけどすぐに涙がでたんだ。決して口には出さなかったけど、なかなか子供を授からないことでママは自分を責めていた。 僕はそれには気がついていないふりをしてきたから泣いたらダメだったんだけど我慢できなかったんだ。 君は生まれる前から、ただママのお腹にいただけで僕達二人を幸せにしてくれ
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父の姿

私が十二歳くらいのとき。両親は離婚していて、私は父と母の家を行ったりきたりしていたんだけど、クリスマスに母に会いたくなり、サプライズ(笑)で父には「母に連絡した」と嘘ついて連絡なしで母家に行った。すると母の彼氏がきていた。母は笑顔でむかえてくれたんだけど、母彼氏がかなり不機嫌そうな顔をしていたので、子供なりにやばいと思って家を出た。で、公衆電話で父に電話していたん
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チョコレート

小学校低学年でガンを患って以来、えらい病弱になった。元々体は弱かったけど、ここ数年は年を重ねていくごとに弱っていくような感じだった。冬なんて学校を休むのはいつもの事だった。ちょっとした事で熱を出したり、それが悪化して肺炎になったり。今年は入院もした。それくらい弱かった。ある冬の日、学校から帰ってきて夕飯を食べた後。ゴロゴロしていたらチョコレートが食べたくなったの
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親父の話

高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。暑さとショックで、頭がボーっとしてて、変な汗が出たのを憶えている。当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。そして俺はお世辞にも優秀とはいえなかった。クラスでも下位5番には入ってしまう
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エフゼロ

スーファミの発売日にファミコンが大反対だった父が何故か買ってあげると言い出して父と一緒にデパートに買いにいった。デパートにはもう人がたくさん並んでいて、ピリピリとしたムードだった。開店と同時に雪崩れるように、「走らないで下さい!!!」と言う係員の声も聞かずダッシュ。みんななりふり構わずエスカレーターを猪突猛進。ハイヒールが片一方落ちていたり、わーわーキャーキャー酷か
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母の手紙

僕のお母さんは癌で死にました。今僕は中学1年ですが小さいころから母は何度も入院したりしていて、子供ながらになんでだろうと思っていました。小学5年生の時ぐらいから母はいつも帽子をかぶるようになっていきました。今思えばそれは辛く苦しい抗癌剤の副作用なのでした。母は旅行などでも笑顔を絶やさない人で、いつも笑っていました。そして小学5年生の春休み前、母は父と一緒に「行って