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最後の晩餐

ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。今日は結婚記念日でカミさんと外食した。レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかっ
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父さんの宝物

三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけどおふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさとりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけどこれがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさなんと
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父の面影

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」と書いてあったそうだ。旦那は去年、交通事故で他界した。
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出産

母は元々体が弱く月1回定期検診を受けていた。そこで私が出来たことも発覚したらしい。母の体が弱いせいか私は本来赤ちゃんがいなくてはいけないところにいなくて危ない状態だったらしい。当時の医療では1万人に1人しか助からないと言われ母子共に命の危険があり、もし生まれたとしても障害が残るかもしれないと言われた。でも父が一生懸命お医者さんに頼み母も3ヶ月前から入院して体が弱いの
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うまれてきたこと

私は右手に障害があります。兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていて撮れなかったの。」と言っていました。物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、そして両親への恨みへとつながっていきました。小学校
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消防士の親父

オレの親父は、消防士だった。いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」ってそう言っていたのを覚えている。親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだ
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しょっぱい玉子焼き

些細な事ですが…10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね)で手術して入院しました。私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。毎朝作ってくれていた母が入院したので、その1ヵ月弱の期間、代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。私の兄弟は3姉弟でした。皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした
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お父さんは偉い

今日マックで、隣の席に小さい女の子とずいぶん若い父親の二人連れがいた。「○○はお父さんのご飯とハンバーガー、どっちが好き?」と父親が問うと、女の子は「お父さんのご飯!」と即答。それを聞いた父親が申し訳無さそうに「毎日ちゃんとしたご飯作ってあげられなくてごめんね」と言うと、女の子は一生懸命こんなことを言った。「でもお母さんは、お父さんのこと偉い偉いって言って
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祖父は無口で頑固

私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて親戚中が一目置いている人でした。家に行ってもいつもお酒を飲んでいてその横で祖母がせわしなく動いていた記憶があります。私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くとずっと黙ったままやっと口を開くと「ビールは何を飲むんや?」でした。その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。その後、子供が生まれ少し育
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不器用な父

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰