2012-02

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あんたが見てきた風景

大学中退自分にできる微かな抵抗ただ実家を継いで医者になるのに抵抗があったフリーターをして食いつないでいた四年間別にいつ死んでもいいとさえ思ってた四年ぶりの親父との電話「病院は経営難で畳むことにした。 俺の考えを押し付けて悪かったな。 母さんが心配してるいつでも帰ってこい」声が震えていた5年ぶりの帰郷久しぶりに会った親父なんでこんなに痩せてんだよ
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わたしのせい

母親が脳疾患で植物状態になり、東京で結婚して暮らしていた私は家族とともに故郷へ帰った。父親と同居して1年半。もともと、若い頃から父とはケンカばっかだったから、お互い相当我慢したよ。あの日。父とケンカしたとき。私の口から出た言葉。「おまえなんか死んじゃえばいいのに!!!!」その次の日、何のお別れの言葉もないまま父は車の中で心不全で亡くなった。たった一人で。十三時
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一人の駄目人間

・・・・昔々 ある所に一人の駄目人間がいましたそいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ1社2社3社・・ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか12社目を受けた時です「お前を雇う所なんてどこにも無い」と面接官に言われました・・・・それから 彼の引きこもり人生が始まったのです当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・
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大好きです、おばあちゃん

ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。クモ膜下出血でした。小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。肩たたきは毎日していました。それくらいおばあちゃんが大好きでした。
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父に会いたい

自分は父の顔を知らない。自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか「お父さんの写真、見して!」とか「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。誕生日
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塩だけのおにぎり

自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家にはばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。でも中学生になって人並みに反