家族

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しょっぱい玉子焼き

些細な事ですが…10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね)で手術して入院しました。私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。毎朝作ってくれていた母が入院したので、その1ヵ月弱の期間、代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。私の兄弟は3姉弟でした。皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした
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ミルクのど飴

数年前に亡くなった私の祖父は、とても無口な人でした。よく口を「へ」の字にして、腕を組んで座っていたせいか、親戚の子供たちからは「怖いおじちゃん」と呼ばれ、「おじちゃんがいるなら遊びに行かない」とまで言われてました。母親もその姉妹も、実の父なのに抱っこしてもらったり、あやして遊んでもらった記憶があまり無いと言っていました。私は祖父のことを嫌いではなかったけど、遊んでくれ
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最後の親孝行に

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症
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母さんの誕生日

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。「
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俺、しあわせになりてえ

私たちは、元々親がおらず養護施設で育ちました。3つ上の兄は中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになってその給料はすべて貯金してました。そのお金で私は私立の高校、そしてさほど一流でもありませんが大学へも行けました。小さな会社ですが就職も決まり、兄への感謝を込めて温泉へ連れて行きました。ビールで上機嫌の兄に、「あんちゃんありがとう、あんちゃんも遊びたかっただろう?」
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俺の骨

姉「コレで一生アンタに借りができちゃった。」弟「こんなんで借りとかいうなや」姉「コレで私とアンタは運命共同体ね」弟「ハハッ ちゃんとリハビリしろよ!」姉「リハビリしたら歩けるようになるかな・・・」弟「大丈夫だって!俺の骨は若くて丈夫だもん!!」姉「傷痛くない?しばらくベルトしめれないよね?ごめんね。退院したらサスペンダー、プレゼントするね」弟「おぅ、早く良くなってくれ
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ドラゴンバスター

小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。 でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。当時60歳くらいだった。ばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに俺はばあちゃんが憎くて、「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」 といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。ばあち
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無償の愛でしょ?

おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
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2ちゃんねる卒業

俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。親父は離婚していない。パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。それで、俺大学落ちちゃったんだ。「すぐに就職先を見つけ
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最高の車を造るからな

三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが小学生だった時に兄貴が高3だった。車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので